久坂葉子さんの『幾度目かの最期』

『幾度目かの最期』の本の表紙の写真。ピンクから白のグラデーションのシンプル表紙です。

久坂葉子さんの本はいまはオンラインストアに登録しておりません。

風が騒いでいる夜など一人を意識する日には、久坂葉子さんの本を読みたくなります。
久坂葉子さんは、神戸に生まれ若くして夭折をした女性で、彼女の『幾度目かの最期』を読んだのが初めてです。
うまく言えないのですが、彼女のもつ二面的とも思えるところに惹かれます。

あらためて彼女の略歴を見ましたが、戦前の生まれでした。つい最近の人だったとしても違和感ありません。

『幾度目かの最期』に収められている「四年のあいだのこと」には、女学校の私が、毎朝会う年上の男性への思慕の想いが綴られています。

毎朝きまって私と人影は石段で会うことになっていた。それは、むこうにとっては偶然だったかも知れない。けれども私にとっては、どうしても会わなければならないと思うのだった。石段の中間で体と体がすれ合う時、私は相手の瞳をじっと見る。然し、人影は私にまなざし一つかけてくれるではなく、行ってしまうのだ。
何度それがくりかえされたであろうか。四月の半ば頃から六月頃まで、そうして毎朝すぎて行った。くっきり晴れた、そして白い雲のぽかぽか浮んでいる日もある。川の水が増す雨の日もある。その時はどうしても傘をつぽめなければならない。そして人影のもつ大きな黒いこうもりの半分つぼめたその先っちょよりつたう雫が私のおさげの襟元に流れこむこともある。それは冷たいと感じるより何か大きな快感であったのだ。十六の小娘はこうして人影に恋を感じた。いや、恋とは云えないかも知れない。愛とも云えまい。だが、ゆめのようにあわい、うすいものではなく、それは今迄に例のない程、激しくかなり強いことは確かであった。
[久坂葉子、『幾度目かの最期』より]

可愛らしい想いともに自意識を強さも感じます。彼の自意識と周りとの関係の中でうまく生きることができなかった久坂さんに想いをよせます。あらためて久坂葉子さんの本を再読しているところです。

久坂葉子さんの『幾度目かの最期』は、X(Twitter)でも紹介しています。
https://twitter.com/soleillunetokyo/status/1740247911550820478


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