家と私との古くからの会話~メイ・サートンさんの『独り居の日記』

『独り居の日記』の本の表紙の写真です。書斎の写真が載っています。

雨の日が続きます。
ときどき読みたくなるメイ・サートンさんの『独り居の日記』。

メイ・サートンさんの文章を読むと、忘れていたことを思いだすような感じになります。

九月十五日
さあ始めよう。雨が降っている。
窓の外に目をやると、楓の数葉はすでに黄ばんでいる。耳を傾けると、オウムのパンチのひとりごとや、やさしく窓を叩く雨を相手のお喋りがきこえてくる。
何週間ぶりだろう、やっと一人になれた。”ほんとうの生活”がまた始まる。奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱にかけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。なんの邪魔も入らず、いたわりあうことも、逆上することもない人生など、無味乾燥だろう。それでも私は、ここにただひとりになり”家と私との古くからの会話”をまた始める時ようやく、生を深々と味わうことができる。
[メイ・サートン、『独り居の日記』より]

夜半の風や雨の音を聞くのが好きなのですが、そんな楽しみをずっと味わっていないような気がします。
めまぐるしい感じになってしまっているこの世の中、なぜか忙しくしているわたしには、メイ・サートンさんの書いている「家と私との古くからの会話」というのがとてもいいです。

メイ・サートンさんは、文章の雰囲気から静かに生活される方かなとも思っていたのですが、抑えきれない感情の起伏もあり、自然と一緒にありながら自分を見つめ思索されてきた方で、意識的なそのあり方の模索に共感できるものがあります。

オンラインストアで1冊売れていますが、もう1冊持っていてゆっくりと時間をかけて自分との対話しながら読みたい本です。

過去にブログに引用していますが、再掲します。

自分に十分な要求をしないことと、過大な要求や期待をすることのあいだには適切なバランスがあると思い至る。私は自分の照準を高くしすぎて、気を落ちこませて一日を終わるというくり返しをしているのかもしれない。そのバランスを見つけるの容易ではない。
[メイ・サートン、『独り居の日記』より]

メイ・サートンさんのことを書いた、むかしのブログです。
メイ・サートンさんの『独り居の日記』

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