大理石と彫刻~堀秀道さんの『鉱物 人と文化をめぐる物語』
先日お店で売れてしましましたが、堀秀道さんの『鉱物 人と文化をめぐる物語』はとても面白いです。
鉱物に詳しくなくても、石っこ賢さんの宮沢賢治さんや、おなじみの大理石や水晶、ガラスなど話しもでてきて読みやすいです。
堀秀道さんの『鉱物 人と文化をめぐる物語』を読むと、大理石が光を通すというこんなくだりがあります。
雪白色の大理石は、そのすばらしい清らかさで何かおよびもつかぬ気高いものだという観念をよびおこす。地上でこれほど深い白色を呈する物質は他にはない。みずからの堅牢さにかかわらず、大理石は容易に加工に身を屈する。 大理石は硬度三度の方解石の微粒集合体であり、やわらかく、ねばりづよい。彫刻、造形にとって白大理石ほど完全な材料はない。
ギリシャ時代には、パロス島産の白大理石が彫刻材として最高のものとされた。その色は純白とはいえない。うすい黄味をおびている。しかし、この大理石は三センチも光を透過し、この透明さのために、パロス島産の大理石の仕上りの面はみずからの物質性をおしかくしてしまう。理想化された形象の彫刻にとってこれ以上適した石はないだろう。
(堀秀道、『鉱物 人と文化をめぐる物語』より)
少し前に、舟越保武さんの『石の音、石の影』のブログを書いて、大理石の彫刻の話しを引用しています。
https://soleil-lune-tokyo.com/funakoshi_yasutake_ishinooto/
再掲になりますが、少し長めに引用します。
大理石をローソクの灯りで見ると、妖しい美しさがある。
完成したばかりの大理石の頭像を、電灯を消してローソクの灯だけで見ると、顔の部分のかげが、かすかにゆれて表情が動いて見える。
そのとき私は、夜ふけのアトリエで、妻と二人で彫刻の完成祝いをしていて、ローソクの灯りで彫像を見ることを思いついた。手にもったローソクを動かすと、それにしたがって、彫刻の影妖しくゆれて、石の顔が生きて動くように見えるのだった。
自分で作って、自分でほれぼれと眺めるのもおかしなことだが、この際しかたがない。
「ホラ、こうして、鼻の向う側に灯りを持っていって、こっちから見ると、鼻のところが明るく半透明に透けて見えるだろう。光が大理石の中に入るのだ。大理石にあてる光は、ローソクが一番いいね」と妻に言った。多分におしつけがましい自賛の気持があった。
「ホントにすてきだわ。こんなに美しいとは思わなかったわ」と妻は素直に感心してくれた。
(舟越保武、『石の音、石の影』の「石の影」より)
大理石が光を通すことは舟越さんも書いています。
大理石には少し透明度があるので、柔らかい光と影を見せて、ほのぼのとした美しさがあった。
これは大理石特有のもので、他の石材にはない美しさだ。
(舟越保武、『石の音、石の影』の「砂岩と大理石」より)
大理石が光を透すので表面と透過した面での反射などで、舟越保武さんが言う大理石の彫像の顔のかげが「かすかにゆれて表情が動いて見える」ということになるのかなと思いました。想像するにとても幻想的な光景に違いないです。
『鉱物 人と文化をめぐる物語』には、パロス島産の大理石を探しあてて彫刻したミケランジェロのくだりもでてきます。
彫刻家の仕事として、彼は、何が大理石の中にひそみ、何が彼の天才を待っているか、いかにしてその形象を石の中から解放してやるかを観察した。 ミケルアンジェロは一つの仕事に対して数カ月もカララの石切場を探索し、また一個の原石の前にひと月も立つことがめずらしくなかった。
「石が私に語りかけてくる。 大理石が私の前で打ち震える」とミケルアンジェロは言った。
(堀秀道、『鉱物 人と文化をめぐる物語』より)
石の中にあらかじめ内在している形を掘りだす、と言っている複数の彫刻家の言葉を聞いたことがあり、彫刻は魅惑的です。
ちなみに、『石の音、石の影』に書かれているヴィーナスも大理石(方解石)からできています。
彫刻は好きで、好きな彫刻の美術館は、東京谷中にある朝倉彫塑館、長野穂高にある碌山美術館です。
東京の美術館の中では、この朝倉彫塑館が一番好きです。
朝倉彫塑館には朝倉文夫さんの『時の流れ』、碌山美術館には荻原守衛(碌山)さんの『女』の彫像が好きです。
朝倉彫塑館と碌山美術館はまた話題にしたいと思います。
(この『鉱物 人と文化をめぐる物語』はお店で販売済のため、オンラインストアでは Solo out です)
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