お初の足のおゆび~石牟礼道子さんの「乳の潮」

『乳の潮』の本の表紙の写真です。水辺に睡蓮の花と葉が浮いているイメージが描かれています。

京都、大坂、神戸にはまって何十年も通いつづけていた時期がありました。
大阪には小さな雑貨屋さんが多くて、お店同士のつながりもあってよく雑貨屋さん巡りをしていました。

そんな大阪の街は、新旧が混在、洗練や喧噪や猥雑が混在していているのが魅力です。大阪梅田も、西梅田、新地、堂島、東梅田、曾根崎、茶屋町、中崎町、兎我野町、太融寺町など表情の異なるの地域が隣接していてすごいなって思いながら歩いていました。
そんな大阪を舞台にした近松門左衛門の作品は、川や橋の風景を思い浮かべながら読むと一層風情が感じられます。

石牟礼道子さんの『乳の潮』の中に、人形浄瑠璃(文楽)の「曾根崎心中」のことを書いているところがあります。
「曾根崎心中」は近松門左衛門の人形浄瑠璃で、内本町醤油問屋の手代「徳兵衛と堂島新地天満屋の遊女「お初」が天神の森で心中するという実話にもとづいた話しです。大阪曾根崎には「お初天神」と呼ばれる露天神社もあります。

『乳の潮』の中に引用されている「曾根崎心中」のくだりです。

あつとばかりに喉笛に。ぐつと通るか南無阿弥陀。南無阿弥陀南無阿弥陀仏と。刳り通し
刳り通す腕先も。弱るを見れば両手を伸べ。 断末魔の四苦八苦
(石牟礼道子、『乳の潮』より)

少し前から原文を引用すると、七五調のリズム感を感じます。

眼(まなこ)もくらみ、手を震い、弱る心を引き直し、取り直してもなお震い、突くとはすれど、切っ先はあなたへはずれ、こなたへそれ、二・三度きらめく剣の刃、あっとばかりに喉笛に、ぐっと通るが、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀と、刳り越し、刳り越す腕先も、弱るを見れば、両手を伸べ、断末魔の四苦八苦、あはれと言うもあまりあり

石牟礼道子さんは、このときの人形浄瑠璃(文楽)の人形について書いています。

舞台袖で、絶命まぎわのお初の指の先が、けいれんするのを、友人のスタッフの、カメラが捉えているという。人形師たちの心組みには驚き入るばかりだが、肉眼の、遠い席からは見えないのだけれどと、わが女監督さんはおっしゃった。舞台を知らずに読んでいると、徳兵衛がお初の足を縁の下で抱く場面があるのだが、それよりは、客には見えぬ断末魔の、人形の足の爪先が、白衣の裾の紅褄からのぞき出て、ふるえているということに心をうばわれる。なんという、いのちのなまめきか。
(石牟礼道子、『乳の潮』より)

見えないところへこだわるココロにとても惹かれます。

人形浄瑠璃(文楽)を初めて見たのが、愛する人の逢いたさに江戸の町に火をつけたお七(「恋草からげし八百屋物語」)です。
表情がない人形の悲喜哀苦の情感のこもる動きがすごく、それ以来文楽や近松門左衛門に興味を惹かれたのですが、舞台裏の動きを知るとますます興味がわきます。

土門拳さんの『文楽』の写真集にはこんなことが書かれています。

文楽の人形は、一つの人形を三人がかりで遣い、おまけに、その一人は一尺以上もある下駄を履いているのであるから、激しい立廻りなどは、もっとも危険な、そうして、不自由な演技になってくる。なにしろ、主遣いは人形を高く差し上げ、足を遣う人は二人の人間のあいだにうずくまって、できるだけ目立たないように気をつけなければならないし、左手を遣う一人は、主遣いの動きに連れて、右へ左へ大廻りをしなければならない。
(土門拳、『文楽』より)

こういう本を読むと、文楽を見にいきたくなります。




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